atokの歴史

atokの歴史

パソコンが爆発的に一般家庭に普及したのは、Windows95が発売されてからです。
それ以前は、パソコンはどちらかというとマイナーな存在でした。
会社で使用する人はいましたが、それもどちらかというと特殊な業種という印象が強かったように思えます。
1980年齢代は特に、パソコンといっても、あまりピンとこない人が多かったのに於いてはないでしょうか。
atokが産声を上げたのは、其の1980年齢代初頭でした。

 

其の頃はまだこの名称に於いてはなく、元々はロジックシステム社という会社むけに製作されたかな漢字変換ソフトでした。
其の後に、当ときのパソコンの標準OS「CP/M」への対応が行なわれ、「KTIS」という名称が付けられます。
そしてこの後、1983年齢に当ときの最新鋭パソコン「NEC PC-100」のワープロソフト「JS-WORD」に対応した日本語変換システムとして採用され、其のパソコンの後継機主である「NEC PC-9801」のワープロソフトに採用された際に「atok」という名称が付けられました。
尚、当ときは「atok3」という名称だったようです。

 

atokが日本語変換システムとして独立したのは、この後の「一太郎」誕生ときです。
この際、名称は「atok4」となり、ワープロソフトと日本語変換システムが独立して存在できるようになったのです。

 

atokは、其の質の高さから瞬く間に普及し、あっという間に日本語変換システムの代名詞的存在となりました。
其の後、Windowsになり、またワープロソフトも「WORD」が普及したことで、シェア其のものはMS-IMEがトップとなりました。
ですが其の後もatokの質の高さは変わらず、標準搭載のMS-IMEからatokに乗り換える人も多いため、今も其の存在感を示しつづけています。